こんにちは!
今回は、当店にある1954年製の【Bally社のsurf club】のピンボールマシンを見ながら、1950年代にピンボールがなぜ大流行したのか、その歴史や時代背景をご紹介します。

1.当時の社会情勢
1940年代頃までのピンボールマシンは、現在では当たり前になっているフリッパー(球を打ち返すレバー)がなく、プレイヤーはボールがどこに落ちるかを見守るだけで、結果はほぼ運任せ。景品や現金と交換するための運任せギャンブルとして扱われていました。
しかし、1947年にフリッパーが発明されたことで、ゲームは「運」からプレイヤーの「技術(スキル)」でスコアを競うものへと劇的に変化しました。これにより、1950年代には合法的な娯楽として社会に受け入れられる下地が整ったのです。
2.技術の進化
内部構造の進化ではスコアが自動で加算される電気的な仕組みや、派手な効果音、小気味よいベルの音などが、プレイヤーの興奮を誘いました。
筐体へのペイントには、当時のポップカルチャーやビーチなどをテーマにした鮮やかなイラストが描かれ、アイキャッチとして抜群の効果を発揮しました。
3.若者カルチャーの誕生
第二次世界大戦後の1950年代、アメリカは前例のない経済繁栄期を迎えました。
- お小遣いを持つ若者の増加: ティーンエイジャーという新しい世代が誕生し、彼らは自由に使えるお金(5セントコインなど)と時間を持っていました。
- たまり場の誕生: ジュークボックスからロックンロールが流れ、ピンボールマシンが置かれたダイナー、ボウリング場、ゲームセンターは、当時の若者たちの最高のたまり場となりました。
4.RBAにあるピンボールマシン
先程から、1940年代頃までに普及していたマシンはフリッパーがないから運試しのギャンブルのような物であるといわれていたピンボールマシンですが、当店にあるピンボールマシンは1954年製…

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あれ、フリッパーがないじゃないか…
そう思った方もいるかもしれません。
実は、この時代はフリッパーの有無だけで違法・合法が決まっていたわけではありません。
「プレイヤーの技術が介入できるゲーム」と判断されれば、スキルゲームとして営業できる地域もありました。
このBally社のsurf clubも、すいしたグレーゾーンを巧みに突いた代表的なマシンだといわれています。
ですが、このBally社のsurf clubが娯楽気として人気を集めた理由はいくつかあります。

1.ビンゴ機能が追加されたことにより、ビンゴ達成時の配当(スコア)が上がったり、有利な機能がアンロックされるという、非常に射幸心をそそる洗練されたシステムが搭載されていました。
2.プレイヤーは繊細な力加減や台を揺らすタイミングなど、独自の技術が求められるようになりました。
5.まとめ
1950年代にピンボールマシンが黄金期を迎えた背景には、
・フリッパーなどによる技術革新
・戦後アメリカの好景気
・若者文化の広がり
この3つが大きく関係していました。
そして、当店にある1954年製のBally社のsurf clubは、その時代ならではの空気を今に伝えてくれる、とても魅力的な一台です。
ヴィンテージ品は、その時代の文化や人々の暮らし、価値観まで感じさせてくれる歴史の証人でもあります。
そんな背景を知ってから実物を見ると、また違った面白さや愛着が湧いてくるのではないでしょうか。
※当記事の内容には諸説ある歴史的解釈も含まれています。
最後までご覧頂きありがとうございました。
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